楊 怡君
私にとって理想のコンビニエンスストア
子供の頃には誰にも母がいる。母は、私に安らぎを与えてくれると同時に、私に可能な限り欲しい物を与えてくれた。母は、一人では何も出来ない私に対して「安らぎ」と「便利さ」というサービスを子育てという形で施してくれたと言える。母の下にいると、私はいつだってモノであれサービスであれ、不便さを感じることはなかった。
二年半前、私は母の下を離れ、一人暮らしを始めた。不自由な一人暮らしの中では、母に感じていた安らぎや、欲しいモノがすぐ近くにある事が依然と比べると非常に少なくなった。不自由さと寂しさが交錯し、そのことでストレスをよく溜めるようになった私は、買い物をすることそれ自体に安らぎを覚えた。その様な買い物を通じて、私には母に代わるような安らぎを感じる、何か大きな存在が必要であることに気が付いた。
私は安らぎを求めて街に出る。そうして、ウィンドウショッピングで安らぎと同時に、おしゃれを磨く。欲しいモノの多くが百貨店や専門小売店で私を見つめている。
しかし、多忙な私にとって、遠出をしてまでストレスを発散する余裕はない。安らぎを得るための買い物の中心は、24時間ずっと私を待ってくれているコンビニにならざるを得ない。いつも私の近くにあるコンビニが、母のような安らぎを与えてくれれば、私はどれほど癒されるだろう。
毎日顔を合わせていた母に代わって、私が毎日何気なしに立ち寄るコンビニこそが母に代わる存在になるよう、強く欲するようになった。
しかし、現実のコンビニでは、男性主体の視点に立った店作りが行われ、若い女性の単身者である私が求めている母のような安らぎや便利さを感じる箇所は少ない。
コンビニに母に代わる安らぎを求める私の理想には、以下の三つのサービスが欠かせない。
@ 私の趣味に合う、私の欲しい商品を提供すること。
狭いコンビニには私の欲しいモノが全て揃っている訳ではない。その様な際、「プライベート・コンビニ」を使えば、これまで入手し難かった商品を容易に手にすることが出来るのだ。
プライベート・コンビニとは、インターネット上で店舗を造り、ファッション、食品、書籍などの分野ごとにメーカーや人気の小売店と提携し、通信販売で商品を提供するのだ。
利用する私は、インターネット端末からネットコンビニに接続し、自分の性別、年齢、好みの商品、ブランドなどの約20項目前後に及ぶ情報と全身写真を入れる。そのデータはすぐに本部に伝送され、本部は自社や、自社が提携しているメーカー、小売店の中から私の嗜好に合う商品を探し出す。プライベート・コンビニは、現実のコンビニと比較し、10倍以上の商品の供給が可能で、個々の嗜好に最大限応えることが可能となっている。
また、プライベート・コンビニはplaystation2のような実写に極めて近い視覚効果がある。画面上には、私専用のネットキャラクターがいる。ネット上のプライベート・コンビニに入る瞬間から、出るまでの間、私の操作により私の代わりに買い物をするのだ。あたかもテレビゲームをしている感覚だ。
その中には、母のように私の好みをよく知っている店員がいる。その店員は優しい声で「おかえりなさい」と声をかけてくる。私はつかの間の安らぎをその中に感じるのだ。
また、プライベート・コンビニの店内は商品分野ごとに多くの「部屋」がある。私は欲しい商品の部屋に入る。その中には、私のために店側が選んだ商品がブランド、メーカー、価格ごとに分けられて並んでいる。また、珍しい商品が特別コーナーに並び、私を飽きさせない。
さらに各部屋の中には商品のリクエスト、評価、交流などのチャットコーナーがあり、私の意見を反映する仕組みになっている。意見を述べる度に店側が商品の更新を行い、徐々に私の理想のコンビニに近づいていくという特徴を持っているのだ。プライベート・コンビニは、親身に私のことをよく考えてくれるのだ。まるで母のように。
A日頃偏りがちな栄養をチェックしてくれること。そして私の健康状況に合ったバランスの良い食事を提案し、食べさせてくれること。
母の下に居た頃、私は食事の際にあれこれ食べなさいとよく注意されていた。そうした母の注意があってこそ、私は健康でいられたのだった。
しかし、現在、私はついつい好みのものしか食べなくなり、食生活が気になることが多い。普段よく利用するコンビニが母に代わって私の食生活をチェックしてくれればありがたいと思う。それには、やはり食べたものを直接チェックした方がよい。
その方法としては、病院でよく行われる検便、検尿が効果的だ。コンビニのトイレの中には検便、検尿システムが備えられ、センサーの上に用を足すだけで日常の栄養バランスの検査が手軽に受けられる。ここから出されたデータは、私の食生活が健康に及ぼす影響を正確に捉えているものと言える。日頃から多忙な私にとって、わざわざ病院に通う暇はない。コンビニでの健康チェックは、いわば、お母さんの様に、私を細やかな点に至るまで心配してくれていると感じさせるサービスである。
そして、一連の健康チェックを終えると、健康チェック機の食事メニュー作成のボタンを押す。すると、トイレでの健康診断を基に、私に足りない栄養素を多く含んだ食事など、健康的な日々の食事メニューが自動的に作成される。このメニューは私だけの専用メニューとなっている。このメニュー中の料理は全てコンビニで揃えることが出来るのだ。
そのコンビニ食は、従来のように添加物が多く盛り込まれていたものとは異なり、全て無添加無着色である。身近なコンビニ食から食品添加物などをなくすことで、毎日食べても健康面でも安心できるようになる。そうした食生活は、私が母の下で暮らしていた頃と同じく、たいへん健康的なものである。
B「ただいま」と思わず言いたくなる家庭的な雰囲気の店作りである。
世の中では今後一層、少子高齢化、核家族化が進み、個々の異なる生活時間が生まれ、私のように一人で生活する時間が必然的に長くなっている。誰もが心のどこかで寂しさやむなしさを感じているように見える。私を含めた孤独さを感じる人々には、母の下にいる様な安らぎが必要だ。
コンビニにはそうした人々が集う、温かな光に包まれた食事の空間が必要だ。訪れる全ての人が、まるで実家にいることを覚える雰囲気がそこにあって欲しい。孤食に飽きた人々は皆、同じように安らぎを求めてここに来る。そうした人々が集まると、自然と会話が生まれ、一つの家族を思わせる雰囲気が作られる。
さらに、店員に自分の誕生日や嬉しいことなど、ぜひ皆から祝ってもらいたい旨の日時を告げると、後日、店長を中心に、店員が寄り添い、ささやかに祝ってくれる。その人はここで知り合った仲間とともに幸せな一時を迎えることが出来る。単身の高齢者や単身赴任中のサラリーマンには心温まるサービスである。コンビニのこうした「おもてなし」の心が、地域住民のコミュニティー広場を育むのだ。
ガラス越しに見えるこうした温かな光景が、道行く人々の心を掴み、人々は自然とコンビニに引き込まれる。コンビニはそうした人々でいつも人影が絶えることがない。
各店舗での常連客が違えば、店舗毎に違った顔が生まれる。雰囲気の異なる店を巡るのもまた、意外な楽しみの一つとなるわけだ。全国全て同じで味気無いというコンビニへのイメージは払拭されているはずだ。この様に、母のように私を思っていてくれる、温かなコンビニがあれば、安らぎに餓える私の一人暮らしはきっと色鮮やかなものになるだろう。